操体法と短時間施術
ども、からだのエンジニア&からだの専門家 鍼灸師&整体師 泰心堂 藤井崇次です。
このところグッと気温が下がりましたね。こういうときは、実は”乾燥に要注意”です。
「寒さじゃないの?」というひともいますが、寒さは暖房やインナーウエアなどでいくらでも調整可能。でも乾燥は目に見えないので、要注意なんです。湿度計と加湿器を利用して湿度管理しましょうね。
あと、加湿器自体の掃除もしっかりと行ってください。
さて、『操体法と短時間施術』ということでちょっとだけお話。
操体法って要は「気持ちの良い方へ、心身を動かし、気持ちの良さを味わうことで体の変化を促す方法」なわけですが、実は原理原則を守ればよい分、色々なやり方がありえます。
基本中の基本、かえる操法や踵トントン操法、つま先上げ、膝倒しなどはもちろんIポジションやらKポジションやらといろいろとバリエーションがありますし、極論原理原則さえ保てれば、ただその場にいるだけでも成立し得ます。
こうなると最初のとっかかりをどうすればよいのか? というのは結構悩みどころだったりします。
個人的にも”操体法”がはやらない理由は難しいのではなくて、
「何から始めればよいですか?」
「気持ちが良ければ何でも良いよ」
というシンプルさゆえの問題だと思います。
とはいえ、症状というか体の歪みのパターンによって相性が良いもの悪いものというのは存在します。それは患者側のみならず施術者側の事情によって変わることもあり得ます。
なので最初はA、B、C、などのパターンを作っておいてどのパターンから始めるかを選択できるようにして置いたら便利なのではないかなと思います。
操体法はなんというか、それ自体が治す、痛みを抑える方法というよりも、スイッチのオンオフをスムーズにするものなのです。
正直言うと、一回の施術で症状解消など目指さなくても良く、一回の施術で体の不快の動きを一つでも減らすことができたらOKと考えます。これって体のバランスが術前と術後で大きく変わったということであり、変わったということは新たな身体環境の均整、均衡を取るために自律神経系の作用が起こるということ。自律神経系の作用が起こるということは阻害されていてた自身が持っている治癒作用というのも活性化される可能性あるということ。
なので、操体法はごちゃごちゃ手数を増やすよりも一手ないし二手くらいのシンプルな手続きでスパッと調整を終えてしまうほうが良いのです。
一般的な施術者が闇雲に症状を解消しよう、痛みをゼロにして帰そうと躍起になり、頓珍漢なことをやっているのに対して、自分で名人というのは気恥ずかしさがありますが、こちら側の施術者は基本的に、治癒は体が行うこと、施術者は”治癒が速やかに行われる状態”になるように”きっかけ”を与えるのが仕事と割り切っています。だから安全、高い効果が両立するわけですけどね。
そもそも論理矛盾なんですよね。「自然治癒力が~」とか言っていながら、不自然な外力をかけまくる骨盤調整家とか、やたらと鍼を刺したがる鍼刺し師とか、とりあえず簡易灸でもしておけという素人レベルの灸師とか、「もっと強く」を断れない自称プロのマッサージ師とか。
※その施術の論理構造上必要な場合もあります。その場合はきちっと意図された施術であるのでこの限りにあらず。
自然治癒力、生命力、気血、復元力、などなどいろいろと言葉があれど、要は身体が自ら調子の用意状態を維持し続けようという機能と作用のお話なわけで、それが”自然”に、”自動的”に働くのであれば、そもそも私たち徒手療法家の施術など「無駄無駄無駄無駄~!」の世界。
本来はそれでよいのです。
極論言ってしまえば、私たちの業界など必要がなくなって消えるのは最良のこと。だけど人間日々草臥れますのでなくなることはないという業界なんですよね。
草臥れて、疲労困憊で、体歪めないと動いていられないから、自然治癒(食う寝る遊ぶ)が必要。
でも疲れすぎて、蓄積疲労状態で回復が追い付かなくなって症状として、体の不調としてそれらが現れるわけです。
この状態は、治癒の阻害原因が発生していたり、そもそも疲労に対する補正として起こっていたものが解消されずに治癒の阻害原因化していたりするわけです。それらは経絡反応として出たり、筋力の弱化として出たり、関節可動域の異常として出たり、表情に出たり、いろいろな形で表に出ます。
その表に出ているものに対して、認識→反射調整(歪みなどの解除)→再認識を行うのが施術です。
じゃ、考えてみましょう。
〇疲労困憊の状態から、一瞬で快調!までもっていくことが可能か?
一体どこのファンタジーでしょうか? 残念ながらエリクサーもポーションも食べれば体力回復する薬草も、原理が謎の回復魔法もありません。
〇強い刺激のほうが回復効果が高いか?
意味が不明です。強い刺激=物理的な衝撃。単に強い刺激で治るというのならボクサーがパンチドランカーとかになることはない。だって、殴るのは強刺激ですからその理屈なら治癒するのでしょう?
施術における強めの刺激、弱めの刺激は”感覚”的な問題であり、物理的な問題ではありません。また、その刺激に対する術式全体としての考え方にもよるので、一概に強く押せば良いというものではありません。
それは弱刺激もまた同じ。弱ければよいというものではなく、なぜ弱く刺激をしたいのかが大事なのです。
〇長時間刺激したほうが回復効果は高いか?
明確にNo。自然治癒力云々を主張するのであれば、長時間筋肉をほぐす(?)ことは、むしろ害悪。解す行為自体に治癒は関係なく、解した結果、自然治癒力云々が働きやすい環境になっているか否かが大事。それが5分でできることならば1時間かけてはいけない。
〇症状をすべて取り去ればよいのではないか?
確かに”理想”的ではあります。でもできないから理想なわけです。自然治癒によって症状が改善するといいながら、その場で手技で症状を取るというのは論理的に矛盾しています。また、痛み症状などを抑えることと、痛み症状を解消することはレベルが違う話です。そもそも”痛み”というのは必要があって、理由があって生じているものであるので、必要と理由とがなくなれば”自然と解除”されるものです。
先に述べたとおりに一瞬で回復する手段がない以上、一瞬ですべての症状を取り去ろうというのは無理な話であり、”自然”とは矛盾する。
施術においては、認識→調整→再認識の過程の結果、現状必要のない(補正的な)歪み、神経興奮状態が解除されるのであって、必要なものは解除する必要すらないし、解除されない。
ならばあちら、こちらと症状を追っかけるのは根本療法とか本治方とかを主張する立場からすると意味があるとは思えない。
もちろん標治方の立場からすると、標=体の示す徴候(サイン)を一つ一つ処置していくという立場なのでおかしなことではないが、体の力を使っているという意味では必ず体力的な限界があることは念頭に置くべきだと思う。
ほかにも考慮すべき事情、論理構造はあるだろうがこのくらいで。
操体法はある意味で体の認識力を高める行為である。認識することで改善が必要なもの改善が可能なものが改善方向へと自然と促される。まさに”自然治癒力”を利用した操法なわけですね。
重要なのは認識であり、身体感覚。快/不快、伸びる/伸びない、痛くない/痛いなどのレベルに応じて”快”方向がわかりやすい動作を入れることで、運動系に刺激を入れ、反射調整を引き起こすrのが操体法。
その原理上、複雑な動作でそれを行うよりも伸ばす/縮める、捻る、圧を加えるなどシンプルな行為のほうが認識しやすい。
ゆえに調整動作が単純なものになるので、結果、かかる時間は少なくなる。
ただ間違えないでほしいのは、別に操体法は短時間施術の調整法ではないということ。
判断が速やかに行われ、適切な動作の選定がスムーズにできるようになれば、結果的に短い時間で結果を出すことができてしまうというだけ。
泰心堂の場合は単独で使うことは基本的になく、クラニアル(頭蓋骨、脳脊髄液調整)系→身体調整→神経経絡調整の手順の中で必要に応じて差し込む感じなので実はわずか数分の手続きだったりします。
主として、動作不全、動作に違和感がある顧客で、なおかつ特定のパターンの時に使う感じですね。
そろそろ次の施術の時間なのでこのへんで
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