商人であることと施術家であることは矛盾しない
おはようございます。
からだのエンジニア&からだの専門家 鍼灸師&整体師 泰心堂こと藤井崇次です。
本日は水曜日なので、自分のサロンでの施術活動です。
商人であることと施術家であることは矛盾しない。
こういうタイトルでお話ししたいと思います。
まあ、私にとっては当たり前の話なんですが、わりと世間と施術者には嫌われるらしい考え方のようです。
確かに『医は仁術なり』(陸宜公)や『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以って志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事な職分である』(養生訓 貝原益軒)という言葉もありますが、実はこんな言葉もあります。『医は仁ならざる術、務めて仁をなさんと欲す』(医則 大江雲澤)。他にもブラックジョークとしては『医は算術なり』など。
ざっくりというと『仁』とは人を思いやる心。
つまり、『誠心誠意に商売に励むことは、まさに仁に適う行いである』(藤井崇次)ということになる。
はい、私の言葉です。
なぜならば、商人とは利潤を追求するものですから。一回売り抜ければ終わりというのは取引ではあっても商い(飽きない)ではないのです。継続して商売をするには、信が大事であり、信を築くもののは「その人は私に必要な商品・サービスを提供してくれた」という実績である。故に、商品・サービスの仕入れ・開発に手を抜く商人はおらず。
すなわち、その商品・サービスが継続的に商われるのは、必要とする者にとってそれが優良かつ欲しい商品・サービスであるからに他ならない。
殊、それが施術サービスであるのならば、喜んで受けたいものであり、受けた結果得するものであり、お金を支払ってでも受けたいものであるということ。
つまり、施術家にとっても利潤を追求する行為は、それだけ顧客の皆様にとって役に立つことを提供しているということであり、お金を払ってでも受けたいと要望されているということであり、施術を通して得してもらっているという行為である。
なのに金の話は・・・というひとは結構多い。そう言われると、「この人、顧客に損をさせているのかな」と思ってしまうのも無理もないと思うのだが。
基本的に”心優しい施術家”目線よりも、”商人”としての目線のほうが厳しくなりがちだし、明確な線引きがしやすい。「一生懸命頑張っています!」よりも、「一生懸命頑張ったので今月は売り上げが150万円に届きました」のほうがわかりやすい。後者なら一回8千円の施術料として月間188回の施術を提供したということですから。188回喜んでもらえたということです。一生懸命だけでは定量的な観察ができないので果たし、そのサービスが妥当かどうか? 判断する基準がないのです。
実際、商品管理は商売の基本です。商品についての理解は品を並べる以前の問題です。商品の使い方などを提案するのは気付かないニーズを発見せしめる行為であるとともに安全に正しく使っていただくために当たり前のこと。
そしてそれらが商売をする上での理念、信念に基づくものであるということも。
じゃ、振り返って施術家の商品はと言えば、施術です。ならばその施術について、手順、得手、不得手、なぜそうなっているのか、うまくいかないときの見直しのポイントは?、施術一式のメンテナンスはどうすればよいのか? ほかの方法でない理由は? それがどう顧客にとって役に立つのか?……など知っていますか? それが過去に有効だったからと言って、現在も有効だと妄想していませんか?
色々と見直すべきことは多い。
だから、施術家ってのは最低限現役であるうちは常に学び、行動し、見直し、再構築のLSDPサイクル(『たった100円で大変革!A6ノートで仕事を超仕組化しなさい』松宮義仁 徳間書店)を回し続けるのである。
でも、現実的には施術法の開発者クラスくらいかな? こんなのやっているの。結構いいわけが多かったり、日々の仕事に追われているふりをしている人も多いから。
泰心堂は常にやっています。なのでメモ帳かデバイス(携帯端末、クラウドにメモするため)を必ず持ち歩いていますし、メモ帳の消費量はかなりのものです。
今回はこの辺で
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