正気と邪気のお話。
どうも、からだのエンジニア 鍼灸師 藤井崇次です。
一応、東洋哲学者の端くれに引っかかっているはずです。(笑)
昨今、奇妙なお話を業界、隣接業界で聞きます。例えば”デトックス”とか”邪気”とか”(やまいだれ+)於血(おけつ)」とか、なんか使い方が違いますか? と思うようなお琴があります。
ま、他所の業界の奇妙な点は置いておいて、うちの業界にある妙な言葉の使い方というお話で、正気と邪気のお話をしたいと思います。
正気・・・”しょうき”ではなく”正気”と読みます。
正気は、気の流れが正しいことを示す言葉。蔵府経絡に過不足なく、遅滞なく上手に気が流れていることを指し、脈気においては「脈平らか」の状態になります。
邪気・・・”じゃき”
邪気は、気の流れが乱れていることを示す言葉。何によって乱れたかにより五邪(五つの外的要因)によるもの、七情(七つの感情の乱れ、内的要因)により引き込まれものに分類することもある。
本来の定義はこんな感じ。
邪気が生じるというのは、「ここで流れが悪くなっていますよ」という表現なわけですね。
で、話し戻すけどたまにこんな表現を見たり、聞いたりします。
〇邪気を取る
〇邪気をもらう
意味わかります?
流れが悪くなっているとはいえ、大きな目でみると体の気の流れの一部が乱れているというだけのことなのに、取ってしまったらその流れってどうなります? 寸断されませんか? それって異常じゃないの?
はい、どうしましょうか。説明としてはわかりやすいかもしれないけど如何なものでしょうかね。
そうね、信号機故障が起きて長い車渋滞があるとしましょう。右へ行きたい車、左行きたい車、正面方向に進みたい車、正面からこちらにむかって進みたい車、交差点を渡りたい人などなど様々な人の思惑によりうまく機能しなくなった道路。
これを、じゃ、この道路は廃棄! と今ある問題を大胆に解決するという感じですかね。
おかしくない?
普通は、どこからどこまでおかしいのかを調べて、おかしい原因を専門家に調査と修復を依頼すると同時に、交通整理をできる人を送り込んで、捌かせれば次第に渋滞は緩和しますよね?
この考え方は鍼灸も同じです。信号機故障が起きたことにより起こった長い車渋滞が邪気。信号機故障が直り渋滞が解消された状態が本来の流れに即しているので正気の状態ということになります。
ちなみにその状態そのものと専門家と交通整理する人がどれだけ優秀かによって渋滞解消の時間が変わる様に、専門家(脳)、交通整理(=炎症)する人(内分泌、血管)などがどれだけ動けるかによって、身体も治癒に至るまでの時間が変わってきます。
さて、二つ目。邪気をもらう。これもおかしな表現ですね。邪気を貰うことは論理上あり得ません。
何故なら、邪気は気の流れの中で発生するから。基本的にその人の体内での内部作用です。
たとえば、気温が低い外に数時間いて、Aさんは風邪をひいた。Bさんは風一つひかなかった。これを例にするのなら、外邪の一つ寒邪になりうる冷たい外気温にされされたのはA,Bとも同じ。Aはそれにより気の流れを乱し、邪気の状態になったので寒邪が発生したと考えられる。Bはそれにより気の流れを乱さなかったので邪気が発生しなかったと考えられます。
このような文脈になります。人によって、体調によって反応がことなるわけですから、外の問題ではなく、基本的にその人の中の問題になります。
そして、人の体を気の塊として見たときに、交換しているものは飲食物と排泄物。空気と二酸化炭素、あとは体熱くらい。
直接的な気の交換は、体液交換、出産や輸血や移植くらいなものです。なので貰うという表現はあまり相応しくないように思います。
ちなみにウィルス細菌の扱いは外邪の扱いと同じです。反応しない人はしませんので内側の問題です。ウィルスなどは貰っても邪気は貰わないわけですね。
言葉って難しいね。
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