質問に答えます。その85 それ何を基準にしていますか?
ども、からだのエンジニア&からだの専門家 鍼灸師&整体師 泰心堂こと藤井崇次です。
先日、その84で手数のお話をしましたが、その関連でいくつかのついかのしつもんをいただきましたので補足的に書いていこうと思います。
あ、もしかしたらタイトル被りかもしれませんが、お気になさらずに。
まずはおさらいですが、大事なことは、
1.基準を明確にすること
2.基準クリアのための最適であろう手順のみを選択すること
3.基準によらなかった場合、無理に寄せようとしないこと。
手続き自体がよほど間違っていない限り、本人の修正力、調整力が働いた結果として、基準によります。
脈診基準なら、「脈平らか」に近づくのが当たり前です。
あ、「基準に”よる”」というのは”近づく”という意味です。
むしろ、基準によらないのであれば、基準の設定がおかしいか、やり方がよほどおかしいということになります。
この基準は、東洋医学というのあれば相対基準であるので、施術者が使いやすいものを使えばよいと思います。
脈診が使いやすければ、脈診を。圧痛が使いやすければ圧痛を。キネシオロジーが使いやすければ、キネシオロジーを。
このように使いやすいものを使えばよいだけのことで、○○でなければならないという絶対的な基準は不都合なだけです。
また、基準を満たすのは理想ですが、現実は理想的に推移することは稀です。
なので、図るのは基準までの相対的な距離感。あるいは距離勘?
そうですね、常日頃、良く用いている基準に基づいて調整を加えてみたところ、うまく基準によらないという結果が目の前にあったとします。
このとき、調整が失敗ととると迷いが生じ、人によってはいつまでも自分のスタイルが確立しないという罠に陥っていきます。
ウィットにとんだ社会学的な考察『マーフィーの法則』にもありますが、「例外のないルールはない」わけで、例外というか、その基準では対応できないものかもしれません。
で、あれば、次の基準を用いればよいだけのことです。
Aプランでうまくいけばそれで良し、そうでないのならばBプランはあるのか?
つまりは、そういう問題です。
こういう考え方は、相対概念をベースにおく我々には当たり前のもののはずなんですが、どうも絶対基準で物事を考えたい方が多くいて、手詰まり感を覚えている方が多いようです。
そもそも論として、妙に大事にされている東洋医学という考え方というか古典?あれ、ただの自慢話集ですから。
黄帝内経の中には、「異病同治、同病異治」とあり、これ数学でいうとA→a、B→bという一意対応ではなく、A→b、B→aでも時には対応できるという示唆であり、これ、集合と要素の考え方ですね。A∨B→a or bが成立しうるってことですね。A∧Bでもいいですけど。
これもっとバッサリいうと、「結果が出れば何でも良いですよね?」(※危険な方法、合理的でない方法、再現性のない方法は却下で。)って話。
東洋医学で、顧客の望む結果が出るわけではなく、あくまでも東洋医学を利用した結果、顧客の望む結果が出ただけのことです。
極論、東洋医学でなくても、顧客の望む結果が出れば顧客はそれでよいのです。
だから、それがどういう条件の時に成立しうるかの基準をとり、基準に近づくかどうかを体の変化を観察することが大事になるわけですね。
変化がわかるのは基準を設定してこそ。
だから何を基準にしているのかを明確にするのがまず施術者がやるべきことです。
これを上手に設定できると、施術に迷いがなくなります。
結果、よそから見るととんでもないとか言われる結果が、当たり前になります。
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