閑話:『竜とそばかすの姫』見てきました!
ども、からだのエンジニア 鍼灸師&整体師 藤井崇次(泰心堂)です。
先日、注目!とお話ししていたスタジオ地図の『竜とそばかすの姫』、公開初日に見てきました。
近くの映画館では、IMAX対応はなかったので、大画面の方で見てきました。
普段よりも、映画館で雑音も少なく、没入して見入ることができましたね。
ところで、金曜日の昼回なのに、高校生くらいのカップルがそこそこいたんですけど、もう夏休みでしたっけ?
まあ、正直、私は高校生の染色、奇抜なヘアスタイル、授業ボイコットなど、少々したところで別に構わないのではという立場なので目くじら立てる気ないのですがね。
ええ、だって大学生や社会人でモヒカン、金髪とか、奇抜なファッションとか、よほどの信念がないと無理でしょう。なんというか、社会人とその予備軍として妙に常識を問われているような圧迫感がそれなりにありますからね。そういう意味では、高校生くらいってとても中途半端な時期であり、その中途半端ゆえに自由度があり、そしてその自由の謳歌次第では手痛いしっぺ返しをくらい自己責任を知ることができるわけです。
そういう意味で法を犯さない範囲での多少のやんちゃは高校生らしいと思うのですよね。
※私自身は、面倒くさがり屋&趣味人なので、世間的には優等生側にいましたけどね。その方が、自分の趣味にとって都合がよかっただけなんですけどね。
さて、話を戻して、映画の詳細を語るわけにはいかないので、さくっと印象だけ。
そうですね、テーマに対して背景がかなりタイトに詰め込まれすぎていたような気がします。正直、2時間というのは短すぎたかなと思います。
なんというか、見ている人が想像力を働かせてストーリーを保管していかないと「あれ?飛んだ?」という感覚に陥ってしまうんですよね。それは登場人物ごとにストーリーがあり、それが重なっているからですね。
主要人物の『鈴』だけで、母と家族(父)の物語、幼馴染『忍』との物語、『鈴=ベル』としての物語、そして『ベルと竜』との物語、『ベル=鈴』としての物語など実は複数がこの短い中にある。
一言でいうと『愛』の物語ではあるものの、様々な形を内包しているがためにストーリーとして連続性が切れたかのような印象を受けてしまうところがある。
さらに、自称正義の集団ジャスティスの違和感。これは映画内でさらっとベルが看破してしまうが、そこに至るまでの背景が一切描かれていない。
※こういう人たちはオンラインゲーム内などにも結構な頻度で出没する。まるで断罪者、裁定者かのように、特定の個人プレーヤーなどを追い込み、正体を曝そうとする。その癖に自分は匿名の正義執行者であろうとする矛盾した存在。
さらに、『アンベイル(Un-Veil)』=ベール(覆い)を外す。作中、仮想世界『U』では本人の姿でははなく、本にの特徴を強調した『アズ(AS)』というある意味で<義体>(擬態)を用いて活動しているのだが、アンベイルという行為は、この擬態を解き本人の現実の姿をさらす行為として用いられている。※『ベル=鈴』があえてこれを利用することで物語はクライマックスへと加速する。
この行為は、一部の者の恣意的に用いられるといわゆる『さらし』という迷惑行為に他ならない。
作中で取り上げられている『竜』の正体探しのシーンは実はまさにこれ。
間違ってはいけないのは、『竜』は『U』のルールに則って『行為』(対戦によるデータ破壊、一方的攻撃など)を行ったのであり、実は『U』のシステムの中では『竜』の行為は肯定されている。つまり、『U』のなかでは『竜』は犯罪者ではないし、悪とも認定されていない。
認定しているのは自称正義の『ジャスティス』たちであり、それに迎合している無責任な群衆。
これ=アンベイルを実装していること自体、正直違和感を覚える。しかも、個人の裁量で使えてしまう。いくらスポンサーが多数ついているからと言って、個人の人格が(常に)公正であると保証されているわけでもない。違和感しかない。(※この件については某野球選手の話がおそらく対応していると思われる。)
だって、管理者側が悪だと思えばアカウント停止措置取ればよいだけだしね。
そう考えると『竜とジャスティス』の間にも背景となるストーリーが必要になる。
だが、それは描かれていない。なぜ、公式キャラクターでもないものが、そんな権限を持ってしまったのか?※作中『U』には警察的な機構がないと明言されている。
これって、ある意味、壮絶な皮肉だよな~。
そんなことを思いながらも楽しんできました。
0コメント