閑話 1番じゃなくても良いのでは?
どうも、習志野 めまい・頭痛でNo.1を獲得しているからだのエンジニア 鍼灸師 泰心堂はりきゅう院院長 藤井崇次です。
そのほかいくつかの複合キーワード検索で過去には千葉県No.1など何度となく、そして多数獲得しています。
それゆえに、地域密着型ではなく、検索来訪型あるいは紹介来訪型のお悩み解決サロンとして機能しているわけですね。
ま、それはそれとして、最近若手の愚痴を聞く機会が増えています。週三回別の治療院で施術活動している関係もあるのですが、なぜか正規の従業員がアルバイト扱いに毎回のように愚痴をこぼすという奇妙な現象が続いていまし、講習に来た者が質問という名の実質愚痴をこぼすという機会が多々。メール相談でも同業というか後輩というか、愚痴メールをいただきます。
なかでも多いのが、「自信が持てません」、「1番じゃなくても良いのでは?」この類の愚痴。
まず一つ目ですが、自身は持つものではなく、在るものです。極論、何をその自信の存在理由(reason d'etre)として定義するかだけの問題です。
初めて客前に立つスタッフにお客様応対に対する自信が存在するわけがない。だって経験したことないのだから。でも、客前に立つために役割振舞い訓練(ロールプレイ)を繰り返してきたのならマニュアル通りの対応はしてきた、できるという自信は在るかもしれません。あるいは、髪型はばっちりセットしてきた! という自信が在るのかもしれません。あるいは部活、日常生活で初めての場面は多数経験済み、過去乗り切ってきたのだから今回もやれる! でもよいでしょう。
根拠なんてなんでもよいのです。
逆に現場に立っているにも関わらず自信が持てませんという人は、たぶん見ているものが違うのではないかと思います。少なくとも現場に立ち続けられるということは、それ相応の理由があります。あとはそれを見つけて根拠、あるいは存在理由として再定義すればよいだけ。
治療家だというのなら治療家として活動できている以上、顧客がいるわけで、顧客の一人ひとりが今、現場に立てている理由になりえます。お一人、おひとりの顔を思い出しながら、「まったく自信が持てません」と言えるとしたら、ある意味で大したもんだと思います。
さて、二つめ。私、これ敢えて言うとしたら「一番じゃなくて良い」と思えるその思考回路に対して疑問を持ちたいと思います。
選択肢は選ぶ前ですからいくつもあるかもしれませんが、選択後は選んだ後なので必然の選択肢以外在りえません。
言い換えるのなら、いろいろな条件のもと、そのときのNo.1の選択肢を選ぶという行動以外の選択の自由はありません。
過去に、「一番じゃなくてはならないのですか?」的なコメントが世間を騒然とさせましたが、答えは単純です。「一番意外に価値はありません」という当たり前の言葉を返すしかないのです。ただ、誰にとってとか、どういう状況でとか条件が存在しうるだけです。
二番目だからと言って選ぶ人は奇矯な人くらいなものですが、逆説的に考えれば二番目が一番面白いから選んでいるのであって、世間で二番目、本人にとって一番なわけです。
そう考えれば人は1番以外選ばない。選ばれたのならばその時点、その条件下でNo.1だからです。
これ、お客様と治療家の関係においても同じです。
通える範囲で1番期待が持てる。予算の範囲で1番期待が持てる。何んとなくだけでWEBを見て1番好感触、……などなど。お客様としてはその時の条件で1番(期待が持てそうな)の治療院に声掛けをしているのです。
治療家側はその期待に応える必要性があります。
だったらお客様の前に立ったら、私があなたにとってベストな治療家ですと答えるのが筋というものでしょう。
たとえその気概しかなかったとしても。
私の場合は恩師に教わった技術をそのまま顧客に提供している時機も、うちの顧客に対してのベストは恩師ではなく、私であるとずっと言い張っていました。プロとして活動しているのですから当たり前です、私の顧客なのですから、顧客にとっては世界一の鍼灸師であるべきですから。もしそうでなければベストの選択肢は恩師の治療院を紹介するということになりますからね。
足りなければ学べばよいだけですし、一人で何をやってよいのかわからなければ本を読んだり、教えを請いに行けばよい。
学んだ技術と得た経験とを突き合わせて徹底的に考察してみればよい。
そして名実ともにその条件でのNo.1になれば良い。
No.1じゃなくて良いと思うのなら、たぶん向いていないので「私がNo.1です」と言える分野へさっさと鞍替えすればよいと正直思います。
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