本治方、根治療法、根本療法は基本が大事
ども、からだのエンジニア&からだの専門家 鍼灸師&整体師 泰心堂 藤井崇次です。
本日も無事、施術業務を終えることができました。ただいま、カフェっていうかタリーズコーヒーで、WEBサイトの更新のための作業を行っています。で、ちょっと思考が固まってきたのであえて意識の隙間を作ろうと記事更新に切り替えてみました。
あ、そうそう髪切りましたので、今週あげた某写真に比べて髪すっきりです。
ええとすっぱりと切り替えたいところではあるのですが、今現在作っているサイトが例の『現役鍼灸師が提案する徒手調整術』のサイトなので、ま、関連ネタになりますね。
では、今回のお話。
『本治方、根治療法、根本療法は基本が大事』というタイトルで始めようと思います。
本治方、根治療法、根本療法ってのは何かい?
簡単に書くと、患者さんの体自身の力を使って、うまく症状を解消してもらう方法。
ま、このことを自然治癒力だの、生命力、イネイト、エネルギー、氣だの言うわけだ。
けどね、多くのところが口にしているだけで、施術者が治しているという志向が非常に強い。
これ、はり師も、きゅう師も、あん摩マッサージ指圧師も、整体師も柔道整復師も同じ。でも、実際は、体自身が体自身を適当な”常態”に維持しようとする機能を持っていて、それを刺激して、反射的に良い”状態”にしようという手技が徒手調整術なわけです。
つまり、極論、無理に刺激しなくとも維持、修復システムが十全に働いていれば、私たち施術者って何もしなくて良いわけです。
ああ、ちなみに”常態”と”状態”とは誤字じゃなくてこのままの文字の意味で使ってくださいね。
じゃ、施術って何をするの?
常態変化を促すのが目的。
すなわち、検査や刺激により現状認識を促し、刺激・反射を利用して現状に対して状態変化を引き起こし、結果的に常態の変化を促すのが施術・調整の目的になります。
この辺の話は、鍼灸理論などでは、体質論と病的体質論のお話になり、学説的にはハンス・セリエのストレス学説そのものになります。
本治方、根治療法、根本療法って何?
本治方とは、鍼灸における古典の標治に対する本治という言葉の定義の問題かつそのための処(置)方のこと。根治療法は、根治を目指す療法と根=本を治そうという言葉で使われているものがあるので、ちょっとだけ注意。ここでは後者の根=本=原因を治そうという意味で使っておきましょう。
根本療法は根=本=原因に対して調整を加えて変化を促しましょうというもの。
ま、この辺の話はいろいろと思うところや立場があるのですが、まあ、あっさりと流しましょう。
で、本題の『基本が大事』の基本です。
根本療法は難しいと自称を含めた治療家?の中では言われます。
でも、これ間違い、というか見当違いで定義、前提、手続きをしっかりと確かめずに行おうとするから難しいように見えるだけです。
たとえば『経絡治療』という鍼灸の一つのやり方があります。鍼灸学校の学生さんや、施術方法を確立していない鍼灸師の方は、本治方に対するあこがれというか経絡治療に対するあこがれ、あるいは脈診に対する妄想が甚だしい。
そもそも経絡治療に脈診は必要十分条件ではない。必要十分条件については数学のお話なので皆様ご存知のことですね。まず、脈診をしなくても経絡治療は術式として成立するので、脈診は必要条件ではありません。次いで、脈診の結果、つまり参考できるデータは個人の経験と頭の中に存するのみで誰もが共有あるいは参照、検証可能なRDB(リレーショナルデータベース)を形成しているわけではない。結果、脈診をしたからといってその脈診の確かさを単独で担保することはできない。つまり、”あてにならない”ので十分条件とは言えない。Q.E.D.(証明終了)
ま、なんだ脈診ってのは上手に使えると便利な道具だけど、使うまでに個人の技術やその熟練度や知識が問われるピーキーな道具に過ぎないってこと。
じゃ、経絡治療を修めたいのなら、単純にデーターベース構築が必要な脈診を後回しにすればよく、経絡病証、経絡反応の確認から始めれば実はあっとうまに使えるようになる。
条件を絞り込んだ(エッセンス的な)経絡治療であるのならば、30分もかからず使えるようになるのだが、これでは利権? 権威? 自慢話ができない? のでだいたい却下されるのは世の常だろう。
個人的にはさっさと30分で覚える経絡治療(泰心堂考案)みたいな簡易術式を覚えて使ってみて、実感してみて、自分が使いたいものへとカスタマイズしていく方が建設的だと思います。
実感の伴わないお題目より、結果の出る簡易術式+なぜ結果が出たのか/出なかったのかの考察を続けることが一人前の施術者を作ります。
今回は経絡治療をサンプルにあげたが、これは何も経絡治療だけのことだけではなくて、根本療法と言ったとき、何が根本であり、それはどう確認されて、その現象が確認されるのは人の体の仕組み上○○となっているからであり、〇×を行うことでそれが□□に変化する。すなわちそれは□△が調整されたからである。□△が調整されたということは、自律神経系機能が活性化あるいは正常化し修復システムが機能可能な状態になったということを示す。以って、自然治癒力が発揮できる状態になったので、体はその修復・調整システムを通じて、修復・調整され機能回復することで、症状は快方へと向かうという論理構造式が矛盾なく機能できる状態になっているか? というのは当然に問われるべき。
つまり、論理式と調整の結果が一致することを以って、調整が成ったことを類推するわけである。
で、これって基本中の基本。
これがしっかりとしていて、現実に調整できると理論と結果が一致して、効果的に機能しうる施術方法となる。
逆に、これがしっかりとしていないと、よくわかっていない患者さんや体に対して無知な自称施術者のさわりの良い言葉に翻弄されて自称ベテラン患者になっている方の悩みに対して、対処的な、その場しのぎの施術を提供し続ける羽目になる。
つまり、「まだここが痛いんですけど」という言葉に引き摺られてしまうのである。
一回の施術においては、体が必要とする痛み、不快感は基本的に取れることはない。なぜならば、必要だから。痛み不快感が必要ないものであれば、施術を通じて痛み不快感が当たり前に低減、消失する。
「まだ、ここが痛いんですけど」
「よかったですね、体が正常に機能していますよ」
というべき案件だということに施術者も患者さんもいい加減気付くべきだと思います。
※検査を通じて、意図通りに体が変化していることを確認したうえでのことです。
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